こころの健康コラム

少子化とコロナによる急激な社会変化の中でも 助産師はかわらず女性と子どもの味方

 

公益社団法人愛知県助産師会 理事

祝 由香里(ほうり ゆかり)

当会は昭和2(1927)年、日本産婆会愛知県支部として設立され、昭和30(1955)年に社団法人愛知県助産婦会、平成25(2013)年に現在の公益社団法人愛知県助産師会となった。産婆、助産婦、助産師と呼び名は変わったが、常に出産を通じ家族や地域社会に密着して活動してきた、女性だけで構成された歴史ある団体である。当会の会員は令和2(2020)年度末時点で527名、愛知県内の助産師は平成30(2018)年調査で2241名とあり、県の助産師の約23%が当会に所属している。近年、助産師の高齢化により出産できる助産院の減少が見られ、県全体の0.5%ほどの出産が21か所の助産院で行われている。しかし、コロナにより病院での家族立ち合いができない、妊婦健診の同伴もできない、マタニティ教室が開催されないなどの制約がある中で、助産院での出産も見直されてきており、数はまだ出ていないが助産院での出産が増えている実感もある。そして、新たに出産開業をする助産師も増えてきている。

 

2020年の全国の出生数は過去最低の87万2683人、合計特殊出生率は1.36であり、近年の人口置換水準の2.06を下回ってかなりの年数がたつ。このことは、現在出産する女性たちが妊娠するまでに兄弟従妹の妊娠や子育てを見る機会を減らし、ロールモデルがなくなっている。そのため、幼児期から妊娠や出産についての性教育を必要とし、学問として妊娠出産、育児を学ばざるを得ない。女性の社会的役割も変化する中で、出産育児を見据えた人生設計と準備がどの女性もできるわけではなく、妊娠したとなって初めて困惑することとなる。一人一人への手厚い教育と妊娠期~出産、育児期の切れ目ない継続した寄り添いと支援がすべての女性や家族に必要となり、少子化であっても時間もお金も減らすことはできず、社会的重要性が増している。当会でも、ここ数年で急激に各所より性教育、健康相談、にんしんSOS、マタニティ講座、産後の訪問等の依頼や相談が増えている。出産を行わないが開業届を出す、いわゆる保健指導開業助産院は年々増えており、このような社会ニーズにこたえたい、学びたいと入会する助産師も増えている。

 

2020年3月に最初の緊急事態宣言が発令され、コロナは医療現場の体制を大きく変化させた。3月は家族の進学就職・転勤など変化のある時期でもあり、会員の多くは、母や妻としての役割と、医療職である自分は感染をしてもさせてもいけないという緊張を持ちながら仕事や家庭生活を送った。そして、人と距離を置かねばならない環境で出産や子育てをしていく母子の心身への負担をひどく心配もした。このように助産師は、出産の現場や子育て中の母子のそばで、社会と医療と母子の今を常に肌で感じている。

当時、多くの団体は事業をストップし身動きが取れなかったが、当会は理事会を延期することなくすぐオンライン会議に切り替え、会の動きを止めなかった。コロナは会員の思いを収束し、団結し、発揮する機会となった。

まず、コロナの影響で産院や市町村のマタニティ教室が開催されなくなっていたことを受け、すぐに4月理事会で「オンラインマタニティサロン」の開催を決定し、その月末には活動を開始、今も継続して行っている。

また、2020年6月に西尾市の公衆トイレで産んだ赤ちゃんの遺棄事件が報道された。このこともあり8月理事会で「にんしんSOS事業」を決定、その後6か月間、このような予期せぬ妊娠をした女性を支援するために、時に連日のように何時間も夜に会議と準備を重ねた。こうして、関係機関と連携し、相談員の自宅で相談を受け、同行支援や短期居場所提供の体制をとる「にんしんSOS事業」を2021年2月より新たに開始した。

これら二つの事業の準備検討の呼びかけに多くの会員が参加しており、このような当会会員の熱き思いと行動力を自慢したい。だが、これらの事業運営は一部助成金を獲得はしたが、先輩から受け継いだ会費備蓄を切り崩しながら行っており、会の存続が危うくなっている。そのため寄付を募ることも新たにはじめた。

 

現在、助産師の多くは病院勤務者である。一方で、助産師として地域を知り、多様な家庭環境と成育歴に思いを寄せ、現在の心身の健康状態に目を向ける。妊娠中の体や子育てが心地よいものとなるよう、共に考え支援する。これらは簡単にできることではない。発達障害や精神疾患を持つ方だけでなく、今は様々な個性があり、安全な出産や子育ての方法を伝え、家族関係の再構築への支援をしていくためには、いくつもの対処法や智恵が必要となる。

もともと助産師は、産婦を中心にその家族全体を個別に柔軟に支援してきた職種。当会にはそんな助産師の先輩にあふれ、これからも会として多様な活動をできる場と教育を提供していくこととなる。こうして助産師は、先輩からノウハウを引きつぎ、また新たに作り出し、どんな時代も女性と子どもの味方として、また未来に続いていくのである。

 

追記:当会への寄付はホームページより申込ができます。どうぞご支援よろしくお願いします。

公益社団法人 愛知県助産師会ホームページ

https://aichi-josanshi.jimdofree.com/

コロナ禍の社会と「いのちの電話」の今

                     社会福祉法人 愛知いのちの電話協会

                        専務理事・事務局長  加藤 明宏

 

「いのちの電話」の始まりは、今から70年ほど前の1953年、英国・ロンドンでのことでした。イギリス国教会牧師であったチャド・バラーは、一人の少女の自殺が契機となって、自殺予防をその使命とした「サマリタンズ」(良き隣人の意味)を創設しました。その活動は、形や名称は異なりますが、瞬く間に世界中に広がり、1971年10月1日には、日本で最初の「いのちの電話」が東京に開局しました。ドイツ人宣教師ルツ・ヘットカンプは、1960年に所属する教会から日本に派遣されました。売春防止法で失職し、困窮する女性を救うため夜の街を奔走しましたが、傷つき悩みつつも相談に来ようともしない女性たちにとって、電話こそ身近にある相談のツールであることに気づいたのです。こうしてヘットカンプ女史は、多くのボランティアとともに、市民活動としての「いのちの電話」を始めました。「名古屋いのちの電話」はその14年後、1985年7月1日に開局しました。1990年2月社会福祉法人として認可され、1999年5月からは、24時間・365日の体制となって現在に至っています。

 

「いのちの電話」の特色を大まかに言えば、以下のようになります。

1.24時間・365日 電話相談を受けます。

2.相談員は必ず秘密を守ります。

3.お互いの宗教・思想・信条を尊重します。

4.電話相談は無料です。(通話料はかかります。)

5.匿名性を大切にします。

6.相談員は研修を受け、認定された市民ボランティアです。

7.物品や金銭の求めには応じません。

8.「傾聴」「受容」「共感」を大切にします。

 

コロナ禍の今、私たちはこれまでと違う新しい「生活」「日常」を生きることが求められています。「名古屋いのちの電話」も、その運営において、大きな変化を求められました。京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥さんは、ソーシャルディスタンスを「思いやり距離」と訳し、「身体は離れていても相手を思う気持ちは変わらない。思いやりを持って互いに守り合おう。」と呼びかけました。「楽しさは人と分かち合うと倍になり、苦しみは誰かと分け合うと半分になる。」と同様に「いのちの電話」の基本を言い表す言葉だと思います。「三密を避ける」「不要・不急の外出を控える」がスローガンとして叫ばれる今、悩みや苦しみをひとりで抱え込まず、誰かに打ち明けることができる「いのちの電話」の匿名性・利便性・即時性が、その真価を発揮できる時だと思います。

 

2020年4月11日から5月14日まで、苦渋の決断の中で1985年の開設後初めて、電話相談活動が休止となりました。しかし1回目の緊急事態宣言が解除されると同時に、環境整備・感染対策をして先ず1名体制で電話相談を再開しました。その後、2名体制へ拡大、2020年11月からは24時間体制も週3日実施できるようになりました。2021年4月からは週4日・24時間になりました。環境整備や感染対策など、目に見えることだけでなく、相談員の気持ちにも寄り添いながら、相談活動が変化できたことは感謝でした。相談員もまた自身の健康や家族、仕事のことなど、悩みも多かったことと思います。しかし、かかり続ける電話を1本でも多くとろうという「寄り添い」の気持ちで、自発的に電話ブースに座る相談員の姿がそこにはありました。2021年2月からは、ほぼ途切れることなく相談ブースは埋まり、受信件数もコロナ禍の前の状態に戻りつつあります。

 

コロナ禍に伴って相談内容も変化しました。昨年は新型コロナウイルスの脅威や先行きがどうなのかわからず、なんとなくの不安を抱える内容が多かったです。しかし感染が広がるにつれて、「コロナの影響で仕事を失った。」「非正規雇用で、お給料が大幅に減らされた。」「家にいると息が詰まりそうだ。」などの相談も増え、影響がより具体的かつ深刻になったと思われます。最近は「コロナウイルス」という言葉はあまり出ませんが、悩みの背景やこれまでの苦悩に加えてのコロナの影響が感じられます。自殺念慮やそれをほのめかす内容、「消えてしまいたい」などの言葉を聴いた場合など、「自殺傾向率」という数字で表しています。コロナ禍の前、2019年の自殺傾向率は16.5%、2020年は19.2%と増加傾向にあり、2021年は前年を上回ると予想されます。悩みの深刻さ・孤立化の進行が窺えます。

月別受信状況・グラフ(2020年1月~2021年8月)

 

2020年度継続研修(現役相談員のための)は、回数を減らしながらも外部の会場を借りて行うことができました。電話の1回線を移設して、スーパービジョンや養成講座の実習も実施できました。養成講座(新しい相談員の育成のための)は、2020年5月、リモートのみで開講、8月からは会場とリモートの併用、電話相談実習では全員が相談現場で学び、2021年5月8日、認定式で新しい相談員が誕生しました。

 

2021年度は、継続研修は全て外部会場を借りて予定通り実施できており、またスーパービジョンも予定通り進んでいます。また「コロナ禍」で「いのちの電話」が世の中に報道されることも多くなり、相談員養成講座は例年の3倍近い受講者が与えられました。来年の認定に向けて、オンライン受講・会場受講を組み合わせながら、また1日研修は多数の受講者が、感染対策を徹底して会場に集合して研修を続けています。

 

「名古屋いのちの電話」が発行している小冊子「もしもし、いのちの電話です」にある「ニーバーの祈り」をご紹介します。

神よ、変えることのできない事柄については、冷静に受け入れる恵みを、

変えるべき事柄については、変える勇気を

そしてそれら2つを見分ける知恵をわれらに与えたまえ。 (梶原 壽 訳)

 

コロナ禍の中で、変わりゆく社会に対して私たち「いのちの電話」のできることは、無限にあると確信しています。

断酒会発足60年以来の未曾有な状況体験中

 ~コロナ禍で運が悪かった仲間を一人でもださないために~

            特定非営利活動法人愛知県断酒連合会

                  理事長  林  藤孝

 令和2年全国に一回目の緊急事態宣言が発令される前から、我々断酒会が大切にしてきた“集まること”が、日常的に不可能な状況となりました。断酒継続・回復の生命線である断酒例会(体験談共有の場)の会場確保が困難なこと、また感染防止のための行動規範が社会に浸透したことで、命を守るための断酒例会への参加行動が、自分自身・家族や周りの人たちの命を守るための行動自粛とのせめぎ合いとなり、結果として断酒例会への参加を自粛する会員家族もみられました。中部ブロック大会・地域断酒会での結成記念大会・一泊研修会も、中止を余儀なくされました。例会の開催を除き、このような断酒会行事開催断念の状況は、今も続いています。

 令和2年3月以降3か月の間、会場の確保ができず、例会の開催が愛知県下27各断酒会で不可能となり、会員の断酒継続の危機や、アルコール治療を終え退院した仲間を受け入れる方法が皆無に近く、入会の意思確認や断酒のスタートもおぼつかない状況となりました。断酒会が発足して60年以来の未曾有の危機的状況でまったく先行きが不透明な中、5月14日の政府見解に、県下感染状況に応じた緩和状況を見据え、会場が確保できることに期待して、我々の活動は決して「不要不急な行動」ではないとの思いで一杯でありました。微力ながら断酒会の会員家族から感染者を出さないことが市区町村の自粛の緩和に寄与することとなり、結果的に例会場の利用再開につながる道と信じ、会員相互による電話による声掛けや、メールなどによる仲間意識を繋ぎとめることに努めました。

 閉塞感一杯の危機的な状況ではありましたが、所有している断酒会館(名古屋市南区)において、限られてはいますが緊急避難的な断酒例会を、極力三密を避けた条件下で三か月間、毎夜開催しました。また戸外で人数をしぼって時間をわけ、資料配付・会員意識を担保する会費を徴収する集まりを開いたり、地域断酒会の知恵を絞り、仲間の断酒継続を守る取り組みも実践しました。自粛緩和を待つのみでなく、Zoomを利用したWEB例会を主宰する積極的な動きも見られるようになりました。一方では不安を訴える入会間もない会員家族の声、例会の開催もできないのに会費を払うことに抵抗感を訴える声、会員であることの必要性に疑問を呈する声が聞こえてきました。ただ耐えて待つだけでなく、断酒例会がないことによる体験談の渇望解消になればと、体験談の出前、具体的には全国大会・ブロック大会での記念誌掲載の体験談や、各県で発行している機関紙掲載の体験談をコピーした小冊子を作成し、会員に配付するといったことも実施しました。一義的には対外的啓発が目的のホームページではありますが、この時期に限り、会員家族を守るために、治療を終えた仲間に希望の光を見てもらえるよう、トップページに体験談を掲載することなど、内向きに掲載内容を変更することも実施しました。

 何とかこの状況を凌ごうと仲間同士声を掛け合うなか、令和2年6月に一回目の宣言が解除されて以降は、今現在(令和3年9月)も、断酒例会の会場確保が全く不可能な断酒会はなくなり、断酒例会を継続できています。どこの会も解除後の最初の断酒例会では、集うことの大切さ、空気の震える匂いのあるリアルな断酒例会のありがたさを、大半の会員家族が痛感・再認識いたしました。

 感染状況の上がり下がりする波のなか、令和2年7月には、二年度に亘り準備を進めてきた「第57回全国(愛知)大会」の中止を断腸の思いで決断することとなりました。全国から仲間が集う全国大会の開催可否に関わる意見対立や運営に携わる会員家族と、それぞれの事情により携わることに難色を示す会員家族との間に分断が起きていることが、中止の判断をせざるを得ない理由でした。会員家族の絆の再確認、新たな絆の構築を目的の一つに掲げていた大会開催が、会員家族の溝を深めることになることを危惧し、一刻も早く分断の溝を修復してほしい一心での決断となりました。それ以降、機会をとらえ、会員家族相互がそれぞれの行動を尊重しあい認め許し受け入れあえる仲間であり続けることを、会員家族みんなで確認しあっています。

 昨年の5月以降、オンラインを利用した断酒例会(ほぼZoomアプリを利用)が全国各地で開催されています。会場の確保も必要なく、感染予防には適した断酒例会の新たな試みが急速にすすんでいます。だだ、オンライン利用ができる者、できない者の分断に繋がらないようにしなければならないと思っています。断酒会の行事に参加できない仲間ができてしまう方法は厳禁であろうという思いがあります。体験談を共有することだけが断酒例会ではなく、会場を予約する仲間・会場設営準備する仲間・片付けをする仲間が皆のために役割を果たすことで動いてくれる仲間の断酒継続の励みとなり、例会の前後や休憩の雑談が仲間の絆を育み、例会に出かける準備・行動など含めた全てのものがあって例会の効能であると思っています。しかしながら、いつまた生命線である断酒例会がリアルで開催できなくなるかは全くもって不透明である以上、オンライン利用の断酒例会の開催も、皆が参加できるようにアプローチをすすめていかなければなりません。通常10年15年で進行していく変革が、ここ1~2年で急速に変わっています。高齢化が叫ばれる断酒会の構成であります。追従できない会員家族が大半であることを考えあわせ、オンライン利用の行事の定期的な開催を複数の会員家族が集まり実施することで、できない会員家族にオンライン利用に慣れてもらう努力を続けていきたいと考えています。

 断酒会での断酒継続とその目的としての回復には、仲間の輪からはみ出ず離れずが鉄則であります。変わらなければならないものは勇気をもって変え、守るべきは次に伝えるべく守る信念を持ち続けられる断酒会であるよう、いま正に少し前の自分や家族のように、酒に苦しみ悩んでいる仲間が繋がれるよう、コロナ禍だから運が悪く繋がれなかった仲間が出ないよう、心して会員家族共々行動実践してゆきます。

『双極性障害の当事者の私が、コロナ禍で思ったこと』

 

特定非営利法人 日本双極性障害団体連合会 副理事長

愛知県地方精神保健福祉審議会委員

特定非営利活動法人 草のネット ピアスタッフ

愛知県・名古屋市ピアサポーター

ピア活あいち運営委員会 代表

日本メンタルヘルス協会 心理カウンセラー

窪田 信子

昨年、芸能人の志村けんさんと岡江久美子さんが新型コロナで亡くなった事を知って、とても驚き、ショックを受けて気持ちが下がった後に、不安に襲われて、次に気持ちがソワソワして落ち着かない日々を過ごしていました。コロナにかかりたくないのは、誰でも一緒だと思いますが、精神疾患を持つ当事者は、その不安の度合いが数倍大きく、普段より更に生き辛くなっています。そして月に一度の精神科クリニックの診察日に主治医に相談しました。『自分がコロナにかかって、肺炎になって、苦しんで死ぬんじゃないかと思うと不安で仕方ないです。』と私が言うと、主治医の返事はこうでした。『その話を聞くのは今日、何人目かな?』えっ!?な〜んだ、私だけではなかったんだと思えたら、急に気が楽になった事を覚えています。私の今の主治医は、薬ではなく言葉で、いつも私の緊張をほぐしてくれるので本当に助かっています。

私は7年前、51歳の時に双極性障害Ⅰ型の診断を受けましたが、当時の主治医に『発病は10代の頃でしたね。』と言われました。双極性障害は、統合失調症と並ぶ2大精神疾患とされています。2大精神疾患と言うからにはメジャーな病気かと思いきや...。大きなギャップがありました。

その1 診断が難しく、誤診が多い。

その2 病気の症状が多岐にわたるので薬の処方がとても難しい。

その3 双極性障害に詳しい精神科医が、とても少ない。

その4 自己管理がとても重要な病気 等々。

今現在、双極性障害は悲しいかな、不治の病ですが、的確な診断と適切な治療を受けることが出来れば寛解に至る事が出来、普通に日常生活を取り戻す事も可能だと思いますが、残念ながら今現在、双極性障害を的確に診断して適切な治療を受ける事が出来ないという現実があります。2大精神疾患なのにこんな状況とは、本当にガッカリしています。

私は7年前に双極性障害の診断を受けた時、主治医に一冊の冊子を渡されました。それは製薬会社が出した双極性障害の病気についての冊子でした。その裏表紙にノーチラス会の連絡先が掲載されていたので、早速調べてみました。ノーチラス会は、日本で唯一双極性障害に特化した団体で、理事長は精神科医の鈴木映ニ先生です。勿論、双極性障害の専門医です。

ノーチラス会は鈴木理事長のお陰で、医療との結び付きがとても強い会です。私はノーチラス会と出会えた事で病気の知識が豊富になりました。そしてノーチラス会に救われたと今でも心から感謝しています。その感謝の気持ちをお返ししたくて、日夜ノーチラス会の普及に尽力しています。

そしてこの度、そのノーチラス会が、『令和2年度こころのバリアフリー賞』を受賞いたしました。ノーチラス会の活動は、毎月の会誌の発行、日本各地で行われている集い、毎年開催の講演会、電話相談は会員のみならず非会員の方にも行われています。私も昨年から、ピアカウンセラーとして相談員をさせてもらっています。

もし皆さんの周りに、双極性障害で困っている方がいましたら、『ノーチラス会』の事を教えてあげてください。ヨロシクお願い致します。

7年前から、「ノーチラス会名古屋の集い」というお話会を、2ヶ月に一度、名古屋市中スポーツセンターで開催してきましたが、コロナ禍で開催中止が長く続いています。

今後はリモート会議での開催を企画中です。今まで会って直接話をして、励ましあっていた仲間たちと、リモート会議で同じ様な事が出来るのかは疑問ですが、顔が見えるだけでも良い面はありそうです。

実はこのコロナ禍でいい事もありました。全国の集いがリモート会議での開催になったので、名古屋に居ながら東京のリモート会議に参加できました!普段なら出来ないことができて良かったです。

もう一つ、コロナ禍で大学の看護学部の精神科実習が中止になったので、急遽リモートで当事者の話を聞く授業に切り替わったため、奈良県の友達から、授業に参加しないかと連絡が入りました。断る訳もなく、若い大学生の皆さんと授業に参加させてもらって楽しかったです。

いつまでもコロナ禍が続いてもらっては困りますが、コロナ禍でもいい事探しは出来そうです。

最後に双極性障害になって、ノーチラス会と出会えて良かった事。診断当時、双極性障害という病名も知らなくて、お先真っ暗な状態の私でした。

ノーチラス会と出会ってから、名古屋でノーチラス会を立ち上げました。そうしたら、同じ双極性障害のたくさんの仲間に出会う事ができました。 また、日本うつ病学会総会が名古屋で開催された時、初めて当事者としてスピーチさせていただきました。今年3月には、『世界双極性障害デーフォーラム』にもリモートで登壇予定です。

双極性障害になったからこそ、今までとは違う人々と出会う事ができ、またいろいろな機会を頂けて本当に有意義に生きています。

コロナ禍でも悪い事ばかりではありません。今まで無かった出会いの方法で、遠くの人とも知り合うことが出来る様になりました。この先、リモート診療で、遠方の双極性障害の専門医の診察を受診できる様になると思っています。

コロナの影響で、今までの常識がいろいろ変わりつつあります。変化を恐れずに何か良い事を一つでも見つけて生きて行こうと思っています。

ありがとうございました。

不確実性の時代 コロナ禍を生きる ~当事者とともに~

特定非営利活動法人びすた〜り

ライフサポートステーションふるぼ(特定相談)

地域活動支援センターふるぼ(委託地活)

髙山 京子

 

2020年を振り返る時期にこの原稿を執筆しています。

この年のトピックは、なんといっても新型コロナウィルスの突然の感染と、感染拡大の猛威に怯えた一年だった、とまとめあげることができるでしょう。

私が属する法人は知多市にあって、設立して7年、事業を実施するようになり4年を経た、まだまだ新しいNPO法人です。縁あって精神障がいのある方の地域支援拠点として事業を立ち上げようと計画して、障害者総合支援法による訓練等給付事業である「生活訓練事業」を開始しますが、その運営に難航していたところ、地元の福祉課から市町村地域生活支援事業の相談支援事業の委託の依頼があり、2017年より委託相談、翌年には地域活動支援センター事業の委託を受け、現在に至っています。

2020年の話に戻しましょう。3月頃にはいよいよコロナ感染が身近になってきた感がありました。市内の高齢者施設でクラスターと思しき集団感染が発生、地域活動支援センター(以下、「地活」)を受託している我が方のフリースペースも、決して他人事ではない事態、と認識しました。委託元である知多市福祉課からは、事業所の開所に関して複雑な境地であることも伝えられました。地活を利用する人は、基本的に特定の日中の福祉サービス提供事業を利用していない人が中心です。当方の地活では、自身でじぶんがどう生きていきたいのか、じぶんが納得できないじぶんの暮らしを生きたくない、否、人に決められた人生を生きることへの疑問、のような気持ちの持ち主が数多く利用してくれています。多分、全国数多くある地活の中でも、旧法(改正前精神保健福祉法)では考えられないような“居場所”機能を発揮して運営しているのではないでしょうか。これは、事業実施責任者であり、地活の管理者でもある私の、長年の精神保健福祉の支援活動・実践を積み重ねて、是非ともこういう場を作りたい、そう感じて整備してきた場所であることも大きく影響していると思っています。ただ、それだけではありません、理念を共有する「仲間」、つまり精神障がいのある人たちと出会えたことは大きかったです。そういう場に集う人たちと、この未曾有の社会をどのように生きていくか、私を含めた地活に配置している有資格者(精神保健福祉士)、当事者スタッフ(有給)、ボランティアも交えて、利用者とともに感染対策、安全に地活を利用するためのミーティングを繰り返してきました。その中で大事にしてきたのは、「決められたルールをマニュアルに沿って守るだけ」の取り組みにはしたくない、という想いでした。委託元の福祉課からは、感染拡大を恐れて地活を閉所してもらいたい気持ちもありつつ、上述のように居場所を必要とする人たちの存在も理解しているので、ロックダウンは避けたい、という想いを伝えてきてくれていました。そのため、その想いに合わせて、感染防止のためのあらゆる取り組みができるよう、消毒用の次亜塩素酸水、非接触式検温計、不織布のマスクの配布などを配慮くださり、手厚い支援を頂きました。実際、福祉担当課長(正式には障害福祉専任統括監)が直接地活に足を運んでくれ、次亜塩素酸水の使い方の指導を下さったり、定時の換気の実施を指導頂きました。その奨励を受け、私たちは自分たちのできる、あるいはできそうな取り組みについてことあるごとに話し合いを続けてきました。その結果、2時間おきの換気の実施、人の手が触れるところの全てを、アルコールを含んだペーパータオルで拭きあげる取り組みを、地活を利用する人全てで実施する、というルールを自分たちで設定しました。そのルール設定は、まさに自分たちで決めたことであるので、その実施率はほぼ100%、誰かに決められて、やらされている、という感覚は皆無でした。

こういった取り組みは、国や県がコロナ対策と称して発してくるどの通知文にも記載がないことでした。むしろ「支援者」と言われる立場の人が必死で実施する、そういう構図を「普通」とした通知文であり、多くの事業所がその通知文に沿って対策を実施したであろう、と推察します。ですが、我が方の地活では、地活の利用者すらもその対策について主体的に考える立場となり、分け隔てなく情報を受け取る立場として存在しました。精神に病を抱える人たち、制度的には精神障害者、と言われる人たちに共通するのは、自分に馴染みのない情報、不確実性のことがらなどが概ね自身にとって刺激になり、その副反応(時に主反応)として、不穏、陽性症状の再燃、など自分を苦しめる結果につながりがち、というのが精神保健の常識のように言われてきています。実際にそういう傾向があることは否めません。そういう意味では我が方での取り組みは、精神保健の常識に拮抗する取り組みで、当事者、と言われる人たちには酷な実践を強いているかもしれません。が、わからなさ、に耐えられない、を病の常識である、としてしまっていることに疑問を感じ、本来なら生きるために必要な情報すら与えられずに生きていくことの方が、よほど差別、区別された生き方ではないか、それが我が方地活の「常識」なのです。

実際、彼らはこの不確実性の流れの日々、目まぐるしく変わる新型コロナウィルスに関連する情報に無闇に怯えることはなく、情報を正しく知り、それにまつわる不安を口にすることを許され、そのことについて丁寧な確認と理解と納得を得られることで、その事態に耐える力をつけていっています。

私たちは今、精神障害を負うことでの「生きづらさ」の前に、その病に罹患するベースとなる生きづらさがあることを、地活の取り組みの一つである「当事者研究」の中で見出しつつあります。地活開所当初から毎週土曜日の午前中に取り組んでいる活動で、その起源は、北海道の浦河べてるの家の取り組みそのものです。当事者研究の真髄は、病のエキスパートはまさにその本人自身である、とすること、病は一人ひっそりと治すものではなく、同じ苦労の仲間とその苦労を共有しつつ、病気を手がかりに人と繋がり、治すことを目的とするのではなく、そこに病の意味を見出す取り組み、といえます。精神医学的な知見を見出す、というより、まさに病を生きる経過の中で、自分の生きる目的を見出そうとすること、その答えは決して一つではない、という、究極の「不確実性」に直面しながら、生きることへの弛まない努力の積み上げを知見とする取り組みに価値を見出しています。私たちの価値は、病気がよくなることを第一義にするのではなく、不確実な状況に揺らぎつつ、耐えつつ、人と繋がりながら、ただそこにあることをモットーとすること、病を抱えて生きることは揺らぎながらオロオロして生きていることであり、その生き方こそ希望につながることを実感していたい、そんな思いを抱きつつあります。

そのような中のコロナの体験です。コロナ禍に世間が大揺れに揺れていますが、地活の当事者スタッフも利用者も、大きく揺らぐこともなく淡々と毎日を生きています。幸いそのことで不安定になることもなく過ごせています。私たち支援者、と言われる人たちが、支援の対象者に映していた「脆弱さ」とは何であったのか、改めて考え直す日々です。

まだまだ厳しいコロナ禍の日々、ますます混沌とした情勢に傾倒していく不安さもあります。そのような世の中だからこそ、病を生きる、障がいとともにある人たちとともに、自ら見出す「新しい生活様式」についてもしっかりと考え、話し合い、実現しあっていきたいと考えています。

 

新型コロナウイルス感染拡大の影響下における就労移行支援の取り組みについて

―LITALICOワークスの活動を中心に―

就労移行支援事業所 LITALICOワークス

名古屋駅南センター 篠田 瑛子

李  維悦

尾張一宮センター  山田 幹大

名古屋駅前センター 馬場胡々路

1. はじめに

①     新型コロナウイルス感染拡大についての動向

2020年1月に新型コロナウイルスが確認されてから、約11カ月が過ぎた。わが国でも、2月中旬から徐々に感染拡大が確認され、臨時休校の要請を皮切りに、さまざまな変化が見られた。愛知県でも、4月16日に緊急事態宣言の対象となったが、それ以前から外出や集会の自粛、不特定多数が接触する状況を回避することなどの対策が取られた。今回は、そのような状況下で、通所型の日中活動支援施設である就労移行支援事業所がどのような活動を行ったかを報告したい。

②     就労移行支援事業所LITALICOワークスについて

就労移行支援事業所LITALICOワークス(以下、LITALICOワークス)は、株式会社LITALICOが運営する就労移行支援事業所である。全国に82事業所、愛知県下に11事業所(名古屋市9事業所、その他2事業所)を展開している。通常は、9時に開所し、障害のある利用者が各々の希望する就労に向けて、個別訓練や講座、企業体験実習、企業見学などに取り組んでいる。また、ハローワークをはじめとする関係機関とも連携し、就職活動の支援を行っている。加えて定着支援事業所も併設し、月1回の企業訪問を基本とする、職場定着支援も提供している。

③     新型コロナウイルスに対する運営上の対策

LITALICOワークスは、新型コロナウイルス感染拡大が懸念され始めた2月末より、徐々に運営上の対策を開始した。具体的には、①開所時間を10時に変更およびそれに伴う利用者の時差通所、②スタッフの時差通勤、③使用機器および事業所の消毒の3点である。また、緊急事態宣言後の4月からは、①利用者の利用時間を調整し、午前・午後の通所人数を10人以下に設定、②在宅利用の開始を行った。

④     就労移行支援事業に対する影響

今回の新型コロナウイルス感染拡大は、就労移行支援の在り方などに様々な影響が見られた。1つ目は、利用者の通所に関する不安と在宅支援の開始である。2つ目は、企業の採用活動の減少であり、3つ目は集合型のイベントの自粛である。今回は、様々な制限下で実際に実施した支援等に関して、報告をする。

 

2.在宅訓練

LITALICOワークスでは、コロナウイルス感染に対する不安から、利用者本人もしくはその家族が自宅待機を希望するケースが増加した。また、自治体が在宅訓練を認めたこともあり、利用者全員に利用方法に関する希望の確認を行った。そのうえで、在宅訓練を希望した利用者には、通所時に受講できるプログラムの動画(DVDもしくはYouTube)の提供、パソコンや関連するテキストおよび作業訓練器具の貸し出しなどを実施した。在宅訓練時は、開始および終了時の電話面談やオンラインでの面談等も実施した。

また、通常の在宅訓練に加え、在宅訓練で孤独感を覚える利用者のために、「家にいても”つながり”や”居場所”を届けられないか?」という思いからオンラインでの特別プログラム提供を行った。提供側のスタッフはメインでプログラムを実施するスタッフとZoom管理をするスタッフの2名体制とした。Zoomにはチャットの機能があり、それを利用することで、在宅で受講している利用者も質問やコメント、時にはほかの利用者と会話するなど、積極的に参加することができていた。先述したプログラム動画とは違い、他の利用者と同時に参加できる環境を提供したことで、双方ともキャッチボールができるようにした。

加えて、遠隔でも参加できるという手軽さから、現在の利用者のみならず、就労中の者も参加することができ、コロナ禍で様々な不安を抱える当事者たちにとって、より広く支援が提供できたのではないか、と考えられた。

今回、在宅支援を提供したことで、支援の手法は対面だけではなく、様々な可能性があると感じられた。自宅からでも、これだけ積極的に参加でき、居場所になり得、多くの人がつながれるということは、我々支援者は、この社会に存在する、家から出られず孤独に生きていくしかない環境に置かれている大勢の当事者に対して、もっと多くの支援を提供できるのではないだろうか。

「こんな社会の変え方もあるんだ」そう思わせてくれた施策であった。

【画像:オンラインプログラムの案内】

 

3.就労支援および定着支援

就労移行支援事業は、障害のある方の就労と安定した職場定着を目標に支援を行っている。しかし、2020年のコロナ禍の影響で企業の採用活動は大幅に減少した。愛知県でも2019年12月の有効求人倍率は1.82%だったのに対し、2020年に入ってから徐々に下降し、10月は1.2%を記録した。この傾向は障害者求人でも同様に見られた。

また、障害者の就労支援において、応募を検討している職場の見学や業務の体験を通してマッチングをはかれることは重要なポイントである。しかし、その中でコロナ禍では企業見学や業務の体験を行う機会が減り、就職活動の機会自体も収縮した。

そこでLITALICOワークスでは、オンラインでの企業説明会などを実施し、利用者のモチベーション維持や不安の軽減等に尽力した。また、在宅ワークが増える中で、在宅での採用を企業に提案するなど、就職の機会を創出することに力を入れた。

さらに、企業の採用面接もオンラインで実施するケースが増えたことを受け、オンライン模擬面接会を実施した。事業所間をオンラインでつなぎ、実際の面接を模して、他事業所のスタッフが面接官役を行った。通常の対面での面接とは違うビジネスマナーや、慣れないオンラインという状況に戸惑う利用者も多かったが、実勢に近い形での模擬面接は概ね好評であった。

加えて、就労中の障害者に対する職場定着支援でも、月1回の対面支援が実施できないケースが増加した。自宅待機やテレワーク勤務になったことで、他者と接する機会が減った当事者も多く、支援担当者との電話面談を通して、様々な悩みを相談していただいた。一方テレワークが進んだことにより、より自身に合った環境で業務を行うことが可能となったケースもあり、働き方の幅が広がるという意味では良い面もあった。

社会的な変化が急な状況だからこそ、就労支援の役割としては、様々なリソースを活用しながら、変化に対応するためのサポートを行う柔軟性が求められていると再認識させられた。

 

4.オンラインシステムを活用したイベントの開催

LITALICOワークスでは、利用者同士のコミュニケーション等を目的として、これまでさまざまな集合型イベントを開催してきた。その中でも特に利用者間の交流を目的としているイベントが、「リタフェス」である。2018年より年1回実施しており、毎年100名ほどの利用者が参加している。しかし、今年度はコロナ禍の影響があり、集合型のイベントは全面的に自粛となった。

そこで今年度は、オンラインでのコミュニケーションを目的にしたイベント「リタフェスオンライン2020」を実施した。

今回のコンセプトは「オンライン」「フェス」「青春」とし、自宅、もしくは事業所での参加という形式となった。内容としては、東京本社に中継を繋いでの企業見学ツアー、参加型のクイズ大会、日々取り組んでいる訓練をリレー形式にした事業所対抗競技、マンガや音楽など10個のテーマで自身の興味関心を語れる「好きなことミーティング」などとなっており、選ぶ楽しさ、一体感、協力、自己発信、勝敗、応援というテーマで企画した。今年度の参加者は114名と、例年通りであった。また、オンラインという形式であったので、OBOGも参加した。

【画像:リタフェスオンライン2020当日タイムスケジュール】

 

参加者からは、「同じ趣味の人と話せたし、企業見学として本社の様子や現場の声を聴くことができ満足」「コロナの影響で今後オンラインの機会が増えると思うので、オンラインでの参加はいい経験になった」といった感想があり、全体の満足度は高かった。

一方、音質や画質、ハウリングなどオンライン特有の課題もみつかった。参加者にはパソコン接続のマニュアルを準備し、事前に接続の練習をするなど個別に準備を進める工夫を行うことで軽減をはかった。

【画像:個別訓練リレーイメージ】

 

今後、オンラインを活用する機会は日常においても増えていくことが想定される中で、こうしたサービスの提供の方法は、新しい可能性を感じられるものであった。現場での日々の支援と合わせて、特別感の演出やオンラインに触れるきっかけの提供が現場の職員にも求められていると感じている。

 

5.まとめ

今回は、就労移行支援事業におけるコロナ禍での取り組みについて報告した。新型コロナウイルス感染拡大により、社会全体が影響を受ける中で、LITALICOワークスでは手探りながらも、様々な支援を実施した。利用者は社会が大きく変化していくことや、自身の健康や就労についてなど、実に様々な不安を訴えていた。支援に従事するスタッフは、そのようなメンバーを前に、できる支援を模索する毎日であった。

特に在宅支援に関しては、スタッフの約7割が支援および訓練の提供という面で困難さを覚えており、対面ではない支援に対しての経験のなさが影響しているように思われた。また、スタッフ自身も在宅勤務になるケースもあり、そういった面での影響も見受けられた。反面、在宅支援の継続に関しては、中止したほうがいいと返答したスタッフは1割程度となり、残りは「継続」もしくは「どちらでもない」とのことであった。在宅支援という新しい形式に可能性を見出しているスタッフも多く、緊急事態宣言から9カ月を経て、徐々に「支援を提供する」ことから、「新しいことに挑戦する」ことも可能になったようである。

LITALICOワークスをはじめ、就労移行支援は障害当事者の“働きたい”を叶えるために支援を行う。今回のコロナ禍で就労移行支援事業は多くのネガティブな影響も受けたが、新しい支援や新しい働き方を見出すことができたともいえよう。

 

2020.12.16

コロナウィルス下の精神科デイケア

愛知県精神医療センター デイケア 看護師長  高田 明

 

愛知県精神医療センター(以下当センターと略す)デイケアは70人規模のデイケア2つと児童デイケア1つを運営しており、毎日70~80人の利用者(以下メンバーと略す)が通所していた。朝の会に始まって、午前中のプログラム、昼食、午後のプログラム、終わりの会等毎日規則的に行われるメニューを限られた人員のスタッフで運営しながら、プログラムの合間を縫って行われるメンバーさんから寄せられる個別的な生活相談、就労支援、対人関係問題等多岐に渡る相談に対応して、気が付くと閉所時間が迫っているという毎日であった。

2月に起きたダイヤモンドプリンセス号でのコロナウィルス感染に始まる一連の対策に派遣された当センター医師の意見を基に病院独自にコロナウィルス感染予防対策が実施された。それにより3月上旬からはデイケアプログラムは全面停止となった。ただし、当センターでは長年にわたる歴史の中でデイケアメンバーの生活支援を重視する考えがある。したがって、生活支援、そして栄養の整った昼食だけでも提供できるように、デイケア自体は開所することにした。プログラム全面停止に至る準備期間に行ったメンバーさんへの説明では「自宅で過ごせる方は自宅で過ごしてください。ただし、日中の居場所がない方、食生活に非常な不安がある方、日常生活指導を必要とする方はデイケアに来ていただいて結構です。」と案内した。メンバーさんからは「いつ再開するのか」などの質問が多く出たが、大きな混乱も起きずにプログラム完全停止に至った。

その後約3か月間、デイケアスタッフは病院正面入り口で行う検温、コロナウィルス感染予防に沿ったプログラム運営方法の検討とそのマニュアル作り、メンバーさんから掛かってくる電話相談への対応などに追われた。また、デイケアに来所して1テーブルに1席だけ配置した椅子に座り、一人で過ごす少数のメンバーさんに対する配慮も怠りなく行い、不安軽減に努めた。

6月に入り、病院として徐々に行動制限が解除されていくに伴い、デイケアプログラムも再開された。それが、メンバーさんの利用も増え出席者が7割くらいの人数に回復したところで、8月中旬から再度感染予防対策に伴う全プログラム停止となった。再度のプログラム停止をメンバーさんに伝えると、TVなどで社会情勢を知っているせいか大した質問も出ずに了解された。現在スタッフは、来院者の検温を行う傍ら来所したメンバーさんへの生活指導、頻回に掛かってくる電話相談への対応に尽力している。

「いつからプログラム再開しますか。」メンバーさんからこの質問を毎日のように受ける。この言葉を聞くたびに、メンバーさんからは、一刻も早く「非日常の生活」からありふれた「日常の生活」に戻りたいという気持ちを感じる。ただ、これからのデイケア活動は感染予防対策を考慮した内容になるため、いくつかのプログラムはその内容を大きく変える必要が出てきた。そのことを丁寧に説明しながら、メンバーさんと共にプログラムを作り上げていく作業が必要である。

メンバーさんには日常的に人との交流を求めている人がいる。「正月休みなんてなくなればよい。デイケアに来ると人と話せる。アパートでは誰とも話さずじっとしているだけだ。」と言うメンバーさんもいる位である。また、積極的に交流を求めてくるわけではないが、集団の中にいることで安心感を得たいと感じている人もいる。一方で対人交流の取り方が身についておらず、トラブルを起こしやすいメンバーさんもいる。そのようなメンバーさんはプログラムのあるなしにかかわらず、来所の頻度に差はあるもののスタッフとのかかわりを強く求めてくる。昨夜OD(オーバードーズ:薬を過量摂取すること)してしまったメンバー、深刻な表情をして静かにスタッフに気づいてもらえるのを待っているメンバー、夫婦間の問題を相談してくるメンバー。そうしたメンバーに対して献身的に親身になって関わるスタッフを見ていると、デイケアの役割は、プログラムを実施することで参加メンバーの能力開発を促す役割と、プログラム以外でのメンバーとの関りから見いだされるメンバーの個人的問題解決能力を促す役割、その両者が大きなものであると再認識した。今後も、メンバーさんの社会生活の援助をする中で、病院に併設されたデイケアの特色を生かしながら、メンバーさん個々の個人目標の達成に向けて援助していきたいと思っている。

コロナウイルスが高校生に与えた影響

                  豊川高校 養護教諭・臨床心理士 長谷川 千里

 

私は、私立高校で養護教諭として30数年勤務しています。それだけ勤務年数がありながら、今回の新型コロナウイルス感染症のような状況に出会ったことがありません。対応も方針も手探り状態ですすめなければならず、またいつ終息するのかが不明でゴールの見えないない状況は、生徒も保護者も教職員もかなりのストレスを抱えやすい状況にあると感じています。

3月2日に初めて政府からの要請で一斉休校となった際には「春休みが少し伸びたかな?」くらいの感覚で、さほど大きな影響があるとは感じられませんでした。ところが4月になって数日後、再び休校措置がとられ、そこから約2ヶ月もの長い休校となってしまい、これまで経験したことのない生活様式に、生徒のみならず教職員も戸惑いや不安が大きかったのではないかと思われます。

本校では5月連休よりZoomによるWeb授業が開始され、担任は毎朝Webで生徒たちの出席確認を行うこととなりました。その中で、数名の生徒から「進路はどうなっていくのか(3年生)」や「学校生活に馴染めるのか(1年生)」といった不安を、担任へ訴える声が寄せられるようになりました。そこで、まず担任がスクールカウンセラーに相談し、アドバイスを得られるようにしました。その結果、担任が落ち着いて生徒に対応することができるようになり、生徒からの不安の声は治まっていきました。その時、スクールカウンセラーは生徒の心理的状態の見立ても行い、カウンセラーと直接面接の必要があると判断した場合、本人とカウンセラーが直接Zoomで面談する体制も整えましたが、そこまでに至るケースはありませんでした。

しかし、長引く休校によって、これまで学校で定期的にスクールカウンセラーとのカウンセリングを受けていた生徒たちから、「面接を再開して欲しい」との希望が出てきました。このためZoomによるカウンセリングを行ったところ、「家族にカウンセリングを受けていることを知られたくない」「話し声(内容)を家族に聞かれたくない」「自分が言ったことをカウンセラーに本当に理解してもらえているのか不安に感じる」という理由で中断するケースが相次ぎました。日頃学校で行われている対面式のカウンセリングの役割は、単純にWebの機能で補えるものでもなく、「場の設定」や「生身のカウンセラーとの対話」が心の交流にとって重要なものなのだと痛感させられました。

一方、長期の休校はマイナス面だけでなく、環境にゆっくり慣れる時間が保証され、プラスに働く生徒もありました。先ほど記した「環境に馴染めるか心配」と担任に訴え出た1年生の生徒は、その後担任と何度かWeb上でやり取りを繰り返していくうちに不安が治まっていったようで、学校が再開されても順調に登校しています。

また、通常の登校スタイルが始まってから、新たに問題を抱える生徒たちが出てきました。Web授業に参加することや与えられた課題をこなすことには取り組めるのですが、元々コミュニケーション力が弱く、集団生活に馴染めないと感じていた生徒の中には、昼休みを過ごすことや教室を移動すること、授業で指名されること、ペアワークを行うことなど、誰かと何かを共有しながら過ごさなければならない行動に対して苦痛や不安を感じ、登校意欲が薄れてしまうケースも見受けられました。これまで学校は当たり前に来るところだったのが、コロナ渦で一転し「Webでも教育が受けられるのではないか、その方が自分に合っているのではないか」と悩み、学校が再開すると教室に行けず、とりあえず保健室へ登校してくるのです。そんな生徒たちと養護教諭として向き合っていく場面もいくつかありました。

とはいえ、大半の生徒は学校が再開して生徒同士や教職員との交流を深め、時には笑い、時には泣きながら過ごしています。延期に次ぐ延期でやっと実施可能となった健康診断では、必死になってソーシャルディスタンスを意識した計画を立てたものの、くっついておしゃべりを楽しむ生徒を注意すれば「密よ!密!」と嬉しそうに距離をとりお互い笑いあっています。そんな日常よくある高校生の姿に、出口の見えない現在の状況への不安を一瞬忘れさせてもらいながら過ごす日々です。

 

2020.7.27

愛知県精神保健福祉協会
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