こころの健康コラム(その4)を掲載しました

不確実性の時代 コロナ禍を生きる ~当事者とともに~

特定非営利活動法人びすた〜り

ライフサポートステーションふるぼ(特定相談)

地域活動支援センターふるぼ(委託地活)

髙山 京子

 

2020年を振り返る時期にこの原稿を執筆しています。

この年のトピックは、なんといっても新型コロナウィルスの突然の感染と、感染拡大の猛威に怯えた一年だった、とまとめあげることができるでしょう。

私が属する法人は知多市にあって、設立して7年、事業を実施するようになり4年を経た、まだまだ新しいNPO法人です。縁あって精神障がいのある方の地域支援拠点として事業を立ち上げようと計画して、障害者総合支援法による訓練等給付事業である「生活訓練事業」を開始しますが、その運営に難航していたところ、地元の福祉課から市町村地域生活支援事業の相談支援事業の委託の依頼があり、2017年より委託相談、翌年には地域活動支援センター事業の委託を受け、現在に至っています。

2020年の話に戻しましょう。3月頃にはいよいよコロナ感染が身近になってきた感がありました。市内の高齢者施設でクラスターと思しき集団感染が発生、地域活動支援センター(以下、「地活」)を受託している我が方のフリースペースも、決して他人事ではない事態、と認識しました。委託元である知多市福祉課からは、事業所の開所に関して複雑な境地であることも伝えられました。地活を利用する人は、基本的に特定の日中の福祉サービス提供事業を利用していない人が中心です。当方の地活では、自身でじぶんがどう生きていきたいのか、じぶんが納得できないじぶんの暮らしを生きたくない、否、人に決められた人生を生きることへの疑問、のような気持ちの持ち主が数多く利用してくれています。多分、全国数多くある地活の中でも、旧法(改正前精神保健福祉法)では考えられないような“居場所”機能を発揮して運営しているのではないでしょうか。これは、事業実施責任者であり、地活の管理者でもある私の、長年の精神保健福祉の支援活動・実践を積み重ねて、是非ともこういう場を作りたい、そう感じて整備してきた場所であることも大きく影響していると思っています。ただ、それだけではありません、理念を共有する「仲間」、つまり精神障がいのある人たちと出会えたことは大きかったです。そういう場に集う人たちと、この未曾有の社会をどのように生きていくか、私を含めた地活に配置している有資格者(精神保健福祉士)、当事者スタッフ(有給)、ボランティアも交えて、利用者とともに感染対策、安全に地活を利用するためのミーティングを繰り返してきました。その中で大事にしてきたのは、「決められたルールをマニュアルに沿って守るだけ」の取り組みにはしたくない、という想いでした。委託元の福祉課からは、感染拡大を恐れて地活を閉所してもらいたい気持ちもありつつ、上述のように居場所を必要とする人たちの存在も理解しているので、ロックダウンは避けたい、という想いを伝えてきてくれていました。そのため、その想いに合わせて、感染防止のためのあらゆる取り組みができるよう、消毒用の次亜塩素酸水、非接触式検温計、不織布のマスクの配布などを配慮くださり、手厚い支援を頂きました。実際、福祉担当課長(正式には障害福祉専任統括監)が直接地活に足を運んでくれ、次亜塩素酸水の使い方の指導を下さったり、定時の換気の実施を指導頂きました。その奨励を受け、私たちは自分たちのできる、あるいはできそうな取り組みについてことあるごとに話し合いを続けてきました。その結果、2時間おきの換気の実施、人の手が触れるところの全てを、アルコールを含んだペーパータオルで拭きあげる取り組みを、地活を利用する人全てで実施する、というルールを自分たちで設定しました。そのルール設定は、まさに自分たちで決めたことであるので、その実施率はほぼ100%、誰かに決められて、やらされている、という感覚は皆無でした。

こういった取り組みは、国や県がコロナ対策と称して発してくるどの通知文にも記載がないことでした。むしろ「支援者」と言われる立場の人が必死で実施する、そういう構図を「普通」とした通知文であり、多くの事業所がその通知文に沿って対策を実施したであろう、と推察します。ですが、我が方の地活では、地活の利用者すらもその対策について主体的に考える立場となり、分け隔てなく情報を受け取る立場として存在しました。精神に病を抱える人たち、制度的には精神障害者、と言われる人たちに共通するのは、自分に馴染みのない情報、不確実性のことがらなどが概ね自身にとって刺激になり、その副反応(時に主反応)として、不穏、陽性症状の再燃、など自分を苦しめる結果につながりがち、というのが精神保健の常識のように言われてきています。実際にそういう傾向があることは否めません。そういう意味では我が方での取り組みは、精神保健の常識に拮抗する取り組みで、当事者、と言われる人たちには酷な実践を強いているかもしれません。が、わからなさ、に耐えられない、を病の常識である、としてしまっていることに疑問を感じ、本来なら生きるために必要な情報すら与えられずに生きていくことの方が、よほど差別、区別された生き方ではないか、それが我が方地活の「常識」なのです。

実際、彼らはこの不確実性の流れの日々、目まぐるしく変わる新型コロナウィルスに関連する情報に無闇に怯えることはなく、情報を正しく知り、それにまつわる不安を口にすることを許され、そのことについて丁寧な確認と理解と納得を得られることで、その事態に耐える力をつけていっています。

私たちは今、精神障害を負うことでの「生きづらさ」の前に、その病に罹患するベースとなる生きづらさがあることを、地活の取り組みの一つである「当事者研究」の中で見出しつつあります。地活開所当初から毎週土曜日の午前中に取り組んでいる活動で、その起源は、北海道の浦河べてるの家の取り組みそのものです。当事者研究の真髄は、病のエキスパートはまさにその本人自身である、とすること、病は一人ひっそりと治すものではなく、同じ苦労の仲間とその苦労を共有しつつ、病気を手がかりに人と繋がり、治すことを目的とするのではなく、そこに病の意味を見出す取り組み、といえます。精神医学的な知見を見出す、というより、まさに病を生きる経過の中で、自分の生きる目的を見出そうとすること、その答えは決して一つではない、という、究極の「不確実性」に直面しながら、生きることへの弛まない努力の積み上げを知見とする取り組みに価値を見出しています。私たちの価値は、病気がよくなることを第一義にするのではなく、不確実な状況に揺らぎつつ、耐えつつ、人と繋がりながら、ただそこにあることをモットーとすること、病を抱えて生きることは揺らぎながらオロオロして生きていることであり、その生き方こそ希望につながることを実感していたい、そんな思いを抱きつつあります。

そのような中のコロナの体験です。コロナ禍に世間が大揺れに揺れていますが、地活の当事者スタッフも利用者も、大きく揺らぐこともなく淡々と毎日を生きています。幸いそのことで不安定になることもなく過ごせています。私たち支援者、と言われる人たちが、支援の対象者に映していた「脆弱さ」とは何であったのか、改めて考え直す日々です。

まだまだ厳しいコロナ禍の日々、ますます混沌とした情勢に傾倒していく不安さもあります。そのような世の中だからこそ、病を生きる、障がいとともにある人たちとともに、自ら見出す「新しい生活様式」についてもしっかりと考え、話し合い、実現しあっていきたいと考えています。

 

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