「コロナ禍での精神障害者のリカバリーに向けた活動について感じたこと」
一般社団法人しん
代表理事 本間貴宣
〇はじめに
2019年末から始まった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行は、マスク、消毒、ソーシャルディスタンス、各種活動の自粛といった感染防止対策が、もはや日常的なものとなり、それまでのあたり前の日常生活を一変させました。このような状況での約3年間の私たちの活動について雑感を述べてみたいと思います。
〇一般社団法人しん について
私たちは、2012年12月より名古屋市西区を中心に精神・発達障害を持つ方の地域生活を応援することを目的として活動をしている団体です。活動内容は、障害福祉事業(フォーマル活動)と独自事業(インフォーマル事業)に大別できます。障害福祉事業は自立訓練(生活訓練)を1カ所、就労継続支援B型を2カ所、相談支援事業所を2カ所、地域活動支援を1カ所運営しています。また、他法人との共同運営で西区障害者基幹相談支援センターを受託しています。独自事業については、ボランティア団体夢叶、精神障害者家族会、リカバリーカレッジ名古屋の運営を行っています。
活動の特徴としては、①本人の価値観に基づいたリカバリー志向の支援を目指していること、②全ての事業所を西区内に限定し、地域で顔の見える関係づくりを重視していること、③障害福祉事業と独自事業を相補的に組み合わせた支援を行っていること などが挙げられます。
〇コロナ禍での葛藤
この3年間、出口の見えない長いトンネルの中で不安を感じながら「使命感VS罪悪感」で葛藤し続けてきました。未曽有の出来事に遭遇し、何が正解なのかが分からなかったのです。「感染対策を十分に行いながらも、最低限必要な支援を継続する。」という矛盾をはらんだ命題に対しての葛藤です。恥ずかしながら、20年間も精神障害を持つ方と関わる仕事に従事してきたにもかかわらず「最低限必要な支援とは?」という実にシンプルな問いに答えが出せませんでした。施設への通所ができていて、健康管理、通院・服薬管理ができていれば必要な支援ができていると言えるのでしょうか。少なくとも、これではリカバリーを応援しているとは言えません。リカバリーにおいては、希望、興味・関心、体験・経験、学び、仲間、権利擁護、新たな挑戦、人生の意味、役割の取得、自己決定など個別性・主体性が尊重され、体験と学びというチャレンジングな過程が必要になります。しかし、リカバリーに不可欠なこれらの取り組みは、「不要不急」という4文字を前にたじろいでしまいました。そして私の葛藤は、ある利用者の発言でさらに深みにはまってしまいました。ある施設を一時閉所しようと思い利用者に相談した際に「あんたは、本当に俺たちの苦しみを本当に理解しているのか?何を見て判断しているんだ?」と言われてしまいました。返す言葉が見つかりませんでした。マスコミからの情報や、社会的な同調圧力に怖気づいてしまい、目の前の利用者の暮らしをしっかりと見ていなかったのかもしれません。
〇意思決定の脆弱さ
このような葛藤は、法人代表としての私個人の課題でもありますが、組織としての意思決定の脆弱さを露呈する結果となりました。感染対策や感染者・濃厚接触者への対応なども苦労がなかったわけではありませんでしたが、医療従事者の皆さんに比べればとても苦労と表現できるものではありません。時間の経過とともに、その苦労は日常的なルーティンへと変化していきました。習慣とは恐ろしいものです。最も苦労したことは、組織としての意思決定でした。日本文化の特徴として有事によく指摘されることですが、私たちも例にもれることはありませんでした。
「コロナ陽性者が〇人発生したが、施設は開所するのか?閉所するのか?」、「非常事態宣言が発令されたが、どこまで支援を行うのか?」、「非常事態宣言が解除されたから、料理プログラムやカラオケを再開しても良いのか?」、「マスクをしたくないという利用者がいるがどのように対応したらよいのか?」、「独自事業はいつから再開するのか?」などなど、頭が痛くなるほど判断を求められる場面が続きました。組織が全く機能していないわけではなかったのですが、新型コロナウイルスは、私たちの活動の多くが明確に文章化されていないルール、つまり暗黙の了解や不文律で成立していたことを見事に証明してくれました。事後対応ではありましたが、一つ一つ、不文律を成文律にしていく作業に迫られることになりました。このように新型コロナウイルスによって組織の意思決定の弱さを暴かれてしまったわけですが、それにより情報共有の仕組化、オンラインの活用、マニュアル作り、BCPや災害対策などが整備されていったことは事実です。一つ一つの意思決定を振り返れば、正しい選択だったとは胸を張って言えません。やはり、備えあれば憂いなしということなのでしょう。また、答えの出ない問いではありましたが、改めて「必要な支援とは何か?」と支援者間で議論し合えたことも自分たちの役割を再確認する上では多くの学びを得ることができました。
〇精神障害者のリカバリーに向けた活動
結果的に、この3年間で1週間だけ1つの施設を閉所し、感染対策のレベルを法人内で4段階で規定し状況に応じて支援内容や利用者さんの活動に制限を設ける策を講じてきました。また、独自事業に関しても非常事態宣言下では全ての活動を中止にしました。繰り返しにはなりますが、これらの判断が正しかったのかどうかは自信がありません。
リカバリーを応援するということは、言うまでもなく福祉施設内だけで完結できることではありません。リカバリーは、ご本人が生活を送っている地域の中で実践されるべきものです。それは人生の主導権を取り戻し、自らの人生において大切にしたい人、場所、機会、役割と出会い・つながることだと思います。具体的には、近所の喫茶店を利用すること、趣味やサークル、地域のイベントに生活者として参加すること、ピアサポート、ボランティア、仕事などの役割を持つことなどです。つまり、ご本人が「病院での患者」、「福祉施設での利用者」という役割の他に、どれだけ多くの役割を地域で持てるかということだと思います。私たちは「患者・利用者」としての役割が、相対的に小さくなること事が理想と考えている為、医学モデルを全否定する意図はありませんが、「精神疾患=慢性疾患」と決めつけない様に心がけています。
コロナ禍では、毎月ファーストフード店で食事をしながら他愛もない話をしていた利用者さんとの関りは、玄関先で短時間の状況確認をするだけになってしまいました。新型コロナウイルスは、支援関係において空間と体験を共有するということを困難にし、ご本人の生活を見えにくくしてしまいました。それは、ご本人の生活場面での興味・関心ごと、生活上の苦労が見えにくくなったということでもあり、リカバリーを応援することが非常に難しくなったとも言えます。「このような環境ではリカバリーに向けた取り組みはできない。」と絶望しそうにもなりましたが、困難に打ちのめされても、諦めることなく再び立ち上がり、自身の体験から学び、何らかの意味を見出し、そこから新しい価値を見出していく過程こそがリカバリーであるならば、私たち支援者がいかにリカバリーの過程を歩んでいくかが試されている時なのかもしれません。
〇おわりに
この原稿を書いている今日において、新型コロナウイルスは収束の兆しをみせつつあり、社会全体が再活性化しつつあります。しかし、新型コロナウイルスが私たちの生活に与えた衝撃はあまりにも大きなものでした。もはや、コロナ前の社会に戻るという未来を期待することは現実的ではなく、社会は新たな形へと変貌せざるを得ない状況だと思います。であるならば、私たち支援者もコロナ前は良かったなどと懐古主義的になるのではなく、社会と共に変化をしていくべきなのでしょう。
日本の精神保健福祉の歴史は、戦後の高度成長を光とするならば、まさにその影と表現しても過言ではありません。社会情勢や経済状況から、切り離され、独立したものとして長らくその歴史を辿ってきました。今回の新型コロナウイルスは、社会と精神保健福祉を隔ててきた見えない壁を、打ち破ったものと捉えることもできます。コロナ禍で、リカバリーに向けた取り組みが困難になったと述べましたが、本来的には、リカバリーは地域でこそ実践するべきものという性質上、社会情勢や経済状況と切り離して行われるべきものではないのでしょう。「患者・利用者」と表現される方々も同じ生活者と考えるのであれば、社会全体が変貌を遂げようとしている今、日本の精神保健福祉のあり方も旧来の方法に固執することなく、社会と共にどのように進化していくべきなのかを考えていく必要があるのかもしれません。アフターコロナ社会において、リカバリーに向けた取り組みをどのように創造していくのかが、私たち支援者に課せられた課題なのかもしれません。