R7 こころの健康コラム(その1)を掲載しました

子どもの貧困と学習支援

中京大学心理学部 吉住隆弘

日本の貧困問題の歴史的背景

 貧困問題は日本においても長い歴史を持つ課題であり、特に戦後の復興期には深刻な問題として認識されていました。第二次世界大戦後、日本は「国民総飢餓状態」と呼ばれるほどの貧困状態にありましたが、急速な経済成長を遂げたことで、1950年代には貧困問題は解決されたと考えられるようになりました。しかし実際は、この復興の波に乗れなかった人々がいたにもかかわらず、社会全体としては貧困問題に対する関心が薄れていきました。

 1980年代後半のバブル景気、1990年代前半のバブル崩壊を経ても、貧困問題は、賃金格差の問題に矮小化され、貧困そのものが大きく取り上げられることはありませんでした。日本で貧困が再び注目を集めるようになったのは、2008年のリーマンショック以降です。この経済危機により、多くの派遣労働者が仕事と住居を同時に失い、社会全体が貧困を「他人事ではなく自分事」として認識するようになりました。それまでの貧困問題が、ホームレスや路上生活者をその視座に置いていたのが、ワーキングプア、ネットカフェ難民、派遣切りなど、多様な形で表れることが理解されるようになりました。子どもの貧困も重要な問題の一つとして浮かび上がってきたのです。

子どもの貧困とは

 子どもの貧困とは、経済的困難だけでなく、社会的・教育的な機会の欠如が子どもの発達や将来に長期的な影響を与える状態を指します。岩川(2009)は、子どもの貧困がもたらす影響を「複合的剥奪」と「重層的傷つき」として説明しています。家庭の貧困は、物質的・経済的な面だけでなく、人間関係や自己形成にも影響を及ぼし、結果として子どもが社会参加の機会を奪われる要因となります。また、幼少期からの貧困の影響は成人後も続くことが指摘されており、貧困が世代間で連鎖する要因となっています。

 さらに、子どもの貧困の特徴の一つに「見えにくさ」があります。現代日本の貧困は、戦後のような絶対的貧困ではなく、相対的貧困であるため、社会全体の生活水準が向上する中で貧困が目立ちにくくなっています。このため、貧困層の存在が軽視されることがあり、貧困を訴える子どもや家庭が社会からバッシングを受けることも少なくありません。例えば、2016年にNHKで放送された高校生の貧困問題に関する特集が、放送後に「本当に貧困なのか」と疑問視され、最終的に国会で議論される事態となりました。このように、貧困を訴えることが抑圧される社会環境が、貧困問題への誤解とその支援の遅れを招く要因となっています。

学習支援事業の展開と意義

 こうした背景の中で、子どもの貧困問題に対する教育的アプローチとして「学習支援事業」が全国で注目されていきます。学習支援事業は、1987年に東京都江戸川区でケースワーカーによって始められた「江戸川中3勉強会」が先駆けとされています。その後、2005年に「自立支援プログラム策定実施推進事業」が開始され、生活保護世帯の子どもたちの学習支援が全国的に広がる契機となりました。2015年には生活困窮者自立支援法の任意事業として位置付けられ、2020年度には全国576自治体(全体の64%)で実施されるまでになりました。

 名古屋市でも2013年から学習支援事業が開始され、当初は生活保護世帯の中学3年生を対象にした小規模な事業でしたが、現在では全16区150か所に拡大し、生活困窮世帯やひとり親世帯の中学生・高校生も支援対象となっています。私が関わる学習支援では、主に大学生が学習サポーターとして関わり、1対1または1対2の個別指導を行いながら、学習だけでなく子どもの心理的なサポートも行っています(写真)。

 学習支援は単なる学習の場にとどまらず、子どもたちにとっての「居場所」としての機能も果たしていると感じます。例えば、精神疾患を抱える母親と暮らし、家事全般を担っていたある中学生は、学校に行くことに消極的で、進学を諦めていたものの、学習支援を通じて学ぶ楽しさを知り、最終的に定時制高校への進学を果たしました。このように、学習支援の場は子どもたちが安心して学び、相談できる場としても重要な役割を担っています。

 また、学習支援事業は福祉行政機関や学校との連携によっても支えられています。福祉事務所との定期的な会議では、生活保護世帯の子どもたちの学習状況や支援の必要性が協議され、学校との連携においても、教員やスクールソーシャルワーカーとの情報共有が行われています。特に、進学に対する保護者の理解を得るための働きかけは重要であり、制度の周知や保護者の不安解消が支援の鍵となっています。

学習支援の今後の課題

 学習支援事業は、貧困対策として一定の成果を上げていますが、課題も残されています。その一つは、学習支援が成果主義に陥るリスクです。学力向上や進学率の向上が目的とされると、支援を受ける子どもに過度な負担がかかる可能性があります。また、学習支援を受けることで貧困の連鎖から脱却できなかった場合、子ども自身の責任とされる危険性もあります。そのため、学習支援は単なる教育支援にとどまらず、子どもの生活全般を視野に入れた包括的な支援として位置付ける必要があります。学習支援が「居場所」としての役割を果たし、子どもたちが安心して過ごせるサードプレイスとなることも重要と考えます。

 子どもの貧困問題は、単に経済的な問題ではなく、社会全体の構造的な課題と深く結びついています。学習支援事業は、子どもたちの学習機会を確保すると同時に、彼らが安心して過ごせる環境を提供することで、長期的な支援につながります。今後も地域社会との連携を強化し、子どもたち一人ひとりに寄り添った支援を継続していくことが求められます。

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