「コロナ禍の生活困窮と精神保健」
名古屋市仕事・暮らし自立サポートセンター副センター長
精神保健福祉士 石上里美
私は、生活困窮者支援の相談員の仕事をしている。この仕事に就く前は依存症を多く扱うクリニックでPSWの仕事をしていた(現在も週1パート勤務をしている)。生活困窮者自立支援制度は、2008年のリーマンショックをきっかけに、生活保護に至る前の早い段階で困窮者を支援することが重視されるようになり、2015年度から始まった「第2のセーフティネット」である。相談の新規相談件数は2015年度以降、全国で22万~25万件程度であったが、コロナ禍が始まった2020年度は80万件近くなり、前年度の3.2倍になった。家賃を払えず住居を失う恐れのある人に対し家賃の一部を支給する住居確保給付金は、コロナ禍前の2019年度は約4千件だったが、2020年度は約13万5千件と、34倍に跳ね上がった。コロナの影響による離職や廃業、休業などにより生活困窮に陥った対象の多くは、飲食店や対面を避けられない仕事に従事している人であった。
飲食店や対人サービスなどの仕事の多くは、女性が多く働く職種であることから、コロナ禍では「女性の貧困」が注目を浴びた。生活困窮の現場にいると、中でも母子家庭の貧困が目立った。各世帯構成の中で、貧困率が最も高いのは母子家庭であり、続いて単身女性世帯である。このことは何を指すかというと、過去も現在も非正規雇用に従事するのは女性の方が多いことの結果ではないだろうか。今回打撃を受けた職種は対人を避けられない職種であり、女性が雇用されやすい職種である。もともと貧困率の高い女性の世帯が、ますます、コロナ禍で大打撃を受けたのである。
貧困率が最も高い世帯構成である母子家庭では、ひとり親である母親の約80%が就労しており、うち生活保護を受給している世帯は約1割ほどである。彼女らの多くはダブルワークや、時にはトリプルワークなどをして必死に家計を支えているのが現状である。母子家庭の中でも、DVを受けた家庭は更に深刻な状況である。離婚が成立していないので児童扶養手当なども入らない。DVの夫と離れるために引っ越しをしなくてはならず、子どもはいきなり転校を余儀なくされる。DV被害家庭の子どもは両親の争いを目撃し(目前DV)、心に傷がついているなかで、学校の転校という更なる不安定な状況に追い込まれ、心を病むことが多い。子どもが不安定になると不登校などの状態も出現し、仕事に行きたくても行けない母親は余計に困窮し生活もままならなくなり、その母親もまた精神を病む。従来の母子家庭やDV被害家庭がこのような状況であっただけでも想像を絶する状況であるのに、このコロナ禍が、更なる過酷な状況をDV被害家庭に作り出したのは言うまでもない。このままでは母親も子どもも共倒れになると心配して、私たちは困窮の相談員として生活保護を受給するように当然勧めるも、多くの母子家庭やDV被害家庭は生活保護を受給する決断をしない。なぜこれほどまでに生活が困窮し、親子ともども共倒れ寸前なのに生活保護を受給しないのか、その理由はいくつかある。一番多い理由が「車を手放せない」ということである。子どもが小さく、車は生活必需品であり手放すことができない。しかし、名古屋をはじめ多くの都市では交通網が発達しているために、生活保護では車はぜいたく品とされており、生活保護を受給すると一部の例外を除いては車を手放すように指導される。それを避けるため、生活保護基準以下の生活でも保護を受けず、必死で働いているのが現状である。
また、母子家庭ではないが子育て中の母親たちも経済的な打撃と精神的な打撃を受けてきた。学校や保育園がコロナ禍で休校・休園などを余儀なくされ、働く母親たちは、仕事を休まざる得ない状況になった。対人サービスの仕事以外の職種でも、子どもたちの休校や休園により、職場に無理を言って仕事を度々休まざる得ない状況に陥ってしまったのである。また、自宅で子育てをしている母親も、夫がリモートワークをすることで、昼食の用意などの家事が増えることで家事と子育ての負担が増加した。また、夫婦の時間が増えたことで家族の絆が深まった家庭もある一方で、逆にDVや家庭不和の問題が深刻化した家庭も少なくはない。これらは、コロナ自粛で家庭の中でしか居場所がなく、他人と触れ合う機会が乏しくなり、家庭の中の風通しが急激に悪くなったことの現れであろう。コロナ禍では女性の自殺率が15%増加した。政府は、自殺対策の指針となる新たな「自殺総合対策大綱」を22年10月に閣議決定した。コロナ禍で女性や小中高校生の自殺者が増えている状況に「非常事態は続いている」と明記し、女性への対策を新たに「重点施策」に加えた。
コロナ禍における自粛で自宅に引きこもる生活の悪影響は、うつやDV、家庭内不和、自殺だけではない。2022年6月16日のNHKクローズアップ現代では、「あなたは大丈夫?コロナ禍のアルコール依存」を放映したが、国立久里浜医療センターでは、コロナ禍でのアルコール相談は前年の1.5倍となったと報道していた。また、私が週一回勤務するクリニックでは、子どものゲーム依存の相談が激増した。休校や自粛で友達と対面して遊べない子ども達がゲームを通して交流するため、昼夜逆転の生活になった、勉強が手につかない、親が決めたゲーム時間のルールを守れなくなったといった相談内容だった。中にはゲームを咎める両親に暴力を振るう子どもたちもいた。親が休日となる土曜日のクリニック外来は、ゲーム依存の親子で予約が埋まる状況であった。
今回の私のテーマは「コロナ禍の生活困窮と精神保健」であるが、ここで「コロナ禍」という視点を外し、「生活困窮と精神保健」と、昨今の日本における「無差別殺傷事件」との関連を、この紙面を活用して語ってみたい。生活困窮者自立支援制度における“生活困窮”とは、「経済的な貧困」と「社会的な孤立」を指す。「無差別殺傷事件」というとまず筆者が思い起こすのは、2008年に起きた東京の“秋葉原事件”である。この事件が起きた時、日本の社会に衝撃が走った。秋葉原事件の加害者は、進学校での成績低下で人生が終わったと思い、派遣労働者として孤立を深め、ネットにも居場所を失った背景があったと報道された。その時の筆者の印象は、一度社会のレールを外れると再びレールの上には戻れない社会が今の日本なのだろうかということであった。派遣労働という働き方が、更に彼の孤立を深めたかもしれない。この秋葉原事件は、まさに「経済的な貧困」と「社会的な孤立」の両方がそろった事件ではないだろうか。無差別殺傷事件を起こした人物の境遇や動機について、共通点を探った研究報告がある。2000~2010年に判決が確定した52人を対象に、犯行実態や背景をまとめたその研究によると、無差別殺傷事件を起こした52人のうち、犯行時の月収が20万を超えていたのは3人しかおらず、40人(77%)が無収入、もしくは月収10万以下であった。同居する配偶者や異性の交際相手がいたのは2人だけで、犯行時に友人がいたのも10人(19%)に留まる。また、犯行時に「自殺」を試みていたケースは約44%に上り、52件全てが単独犯であったという共通点も見られた(法務総合研究所「無差別殺傷事件に関する研究」より)。もうひとつ思い起こされるのは、2021年に起こった大阪ビル放火事件であるが、加害者は生活困窮者であった。報道によると、生活保護を受給しようと相談したが、持ち家があり生活保護を受給できないと言われた経緯があったという。その後、加害者は途方にくれ、自ら抱いていた自殺願望を無差別な大量殺人への執着に変容させていった。生活保護では、正しくは、持ち家があっても保護申請は可能である。ただし、資産価値がある場合は売却しなければならないということである。そのような誤解が解けぬまま、加害者が自暴自棄になり事件を起こしてしまったと思われるが、孤立さえしていなければ、誤解を解き生活保護受給に至ったか、持ち家を売却してしばらく生活費に充てることができたのかもしれない。そういった助言やアドバイスをし、誤解を解く場所や人間関係があれば、あれほどの悲惨な事件を起こし、多くの何の罪もない人の命を奪うことはなかったのかもしれないと思うと無念でならない。
以上のことから、「生活困窮と精神保健」は、密接な関係があるのではないだろうかと筆者は考える。それは、生活困窮者自立支援制度の“生活困窮”が「経済的な貧困」と「社会的な孤立」を指すことに関わっていく。「経済的な貧困」と「社会的な孤立」にある人すべてが精神保健に関連するわけではない。しかし、過酷な状況の中で孤立することで精神を病むのが、逆に言えば人間の、ある意味本来の姿ではないかとも筆者は思う。